おはようございます。
本日は「格差」に関して書いていきたいと思います。近年といいますか、資本主義の特徴として、格差社会が問題提起される場面は多いと感じます。私自身も過去に記事で格差社会に関して書いていますが、それは日本だけの問題ではありません。資本主義である以上はお金に依存する世の中になるのは必至です。ですが本日書きたいことは金銭的格差の問題ではなく、「格差」そのものに関することを書いていきます。
「格差」と言っても様々だと思います。経済的格差、教育格差、地域格差などが代表例でしょうか。ここに加えて、私の造語もありますが、親の品位・民度格差、時間格差、犯罪格差、倫理格差、性別格差などについても考えていきたいと思います。
まずなぜ格差に関して書こうと思ったのかといいますと、格差社会という言葉が世の中に多く叫ばれていますが、それは単純に経済的=お金の面でしか議論がなされない場面をよく見ます。お金だけの基準で議論される格差は、あまり的を得ない議論であると思います。なぜかというと、お金に対する価値観が人それぞれであるからです。年収300万でも裕福な暮らしができていると思えば裕福だし、年収1000万円でも貧乏な暮らしだと本人が感じれば貧乏です。これに関してはすべて価値観に依存し、お金の使い方、かける場所、贅沢に対する感覚、見栄など様々な内的要因が絡んでいると感じます。もう少し細かく紐解いていきましょう。
日本における経済格差
日本は貧困国になったと叫ぶ専門家や大人が多くいると思います。それは本当なのでしょうか。なにを持って貧困といっているのでしょうか。少し疑問に思っています。「格差」という言葉にフォーカスすると、確かに富裕層とマス層などの層毎に格差は存在するとは思います。年収が3000万もいれば、年収200万円も人もいます。様々であると思いますが、正直年収200万でも生活しようと思えば余裕で出来ます。もちろんお金を使う贅沢というものはできませんが、大人の平均的なカロリーを摂取する食事はできますし、栄養だってちゃんと採れば偏りません。家だって賃貸で田舎なら2万円くらいの家はいくらでもありますし、現代ではテレビもネットも携帯も安く、光熱費も普通に暮らせば大したことはありません。結婚して、子供がいて年収200万は苦しいですが、独身や共働きで夫婦年収が500万くらいあればそこそこ暮らせます。
逆に年収が1000万や3000万あっても、貧乏に感じている人もいるかもしれません。住宅ローンやカーローンで毎月とんでもない出費があったり、習い事や浪費、ギャンブルなどで毎月使い切ってしまう人もいます。それでお金がないと嘆いているひともいるのは事実です。
教育格差についても言及するなら、昔は優秀な先生がいて、最適なテキストがあると勉強には有利な時代がありました。しかし今は情報が多く存在し、YOUTUBEで勉強方法を拡散してくれる方も多くいますし、テキストもネットから落とせる時代です。昔ほどの格差は無く、もはややるかやらないかの話です。教育格差を提起し、勉強できないことを他責にしているだけに見えてしまうのは私だけでしょうか。ネットを繋げないくらい貧困家庭ならわかりますが、今は図書館でも学校でもつながりますし、方法はいくらでも存在します。
加えてお金がないと言っている人に限って、タバコやお酒、ギャンブルなどの嗜好品を辞めません。普段のストレス発散のためにやっているのかもしれませんが、ストレスの発散になっているのでしょうか。私もタバコは吸っていましたが、健康リスクと経済的困窮を招くだけで、結果としてストレスになる印象です。タバコを一日1箱で15000円ですよ。お酒も合わせたら、3万~4万ぐらいはいきますよね。嗜好品がなくなったらなんのために生きているかわからないなら止めませんが、もっと楽しいことや生きがいを感じることはありますよ。思考停止が一番危険です。
こうなると格差だけで、人の幸不幸を判断するのは少し違う気がします。もっと内面的な格差や外的要因が現代人には欠如しているような気がします。私自身もお金が欲しいなら努力や継続はするべきであるという考えでありますが、そもそもなぜお金が欲しいのかと本当に今の生活は満足できない内容なのかを再確認すべきだと感じます。
表に出にくい格差(倫理・犯罪)
ここでは表に出にくい格差について書いていきます。まずここで話をしたいのは、「倫理的格差」です。これを議論するのはわかりやすく、海外との比較を上げていきたいと思います。日本に住んでいる方は何かにつけて政治に文句が出ます。まぁこれは他国でも同様なのでしょうが、本当に住みにくい国なんでしょうか。日本は犯罪率という指標で見れば、世界でベスト10に入るほど犯罪が無い国です。これはとんでもなくいい事と感じませんか。発展途上国であればあるほど犯罪率は多いですが、その理由は貧困が影響します。しかし日本は倫理的にも、金銭的な貧困の側面でみてもやはり裕福なのだと思います。生きるか死ぬかの貧困と、贅沢ができるかできないかの貧困には圧倒的な差があるのはわかるかと思います。日本は明らかに後者です。犯罪が多いというと、日常的に殺人事件が起きたり、窃盗や強姦、詐欺などが起きるということです。お金があってもそんな国でくらしたいと思いますか。日本はまず倫理面でも、安全面でも圧倒的に恵まれているのです。だからこそお金という指標に依存し、いかに他者より贅沢できるかなどの生きる上での+アルファ的な部分に目が向いてしまのかもしれません。
親の格差

ここでは親の格差について書いていこうと思います。これは金銭的な格差ではなく、親の品位・民度や愛情などにフォーカスします。親が金持ちだったらよかったなとおもう人は多いかもしれません。買いたいものは買えるし、美味しいものが毎日食べれるしなどと考えますよね。その感覚は正常だと思います。でもよく考えてみてください。もしお金はあっても、親が仕事で毎日家にいない家庭や親がDVしてくる、差別的な思想がある親などが自分の親だったらどうでしょうか。お金があっても、幸せとは言えない家庭ではないでしょうか。お金は無くてもワイワイできる元気な家庭を憧れるお金持ちの子供や、お金がない家庭でおもちゃが買いたい子供がいる家。そんなものは世の中に多く存在します。つまりない物ねだりですし、金銭的な格差だけで測れないものがそこには存在します。
時間格差について
これは働く方の自由時間について書いています。例えば都会の企業に勤めているお父さんが、通勤に片道1時間かかるとします。つまり往復2時間です。大体企業は240日ほどの勤務日がありますので、年間で約500時間が通勤に使われます。この時間もったいなくないですか。年収が大企業で都内で多かったとしても、この時間はお金には変われないんです。一方で田舎で年収は劣るけど、通勤が片道10分とかならどうでしょう。往復20分で、年間80時間です。420時間も変わります。これは一例であり、もっと通勤時間が長い人も短い人もいます。この時間を家庭に還元したり、自分の自己研鑽の時間にできたりしたら経済的にも安定しますし、年収だけが格差ではないことを物語ります。通勤時間が往復2時間で年収800万と通勤時間が往復20分で年収600万。あなたはどちらがいいでしょうか。私は後者です。
まとめ
このようにいろいろな格差というものに目を向けると日本が恵まれているのがわかるかもしれません。金銭的な格差だけで世の中を見てしまうと余計に他人が羨ましくなります。隣の芝は青いではないですが、裕福に上を見たらきりがないというのが素直な感想です。
現代ではSNSが普及したのもあり、よくも悪くも他人の生活が嫌でも目に付く時代になりました。そんな効果もあってか、他人に生活が羨ましく感じたり、なんとなく自分と比べて自分の生活が劣って見える現状に我慢できなかったりします。贅沢やお金の価値観は相対的なものです。なんども言いますが、上を見たらきりがないということです。
まず冷静に自分の給与と生活レベルがあっているのかどうかを見極めるといいのかもしれません。今の給与でも意識改革でどうにかなるレベルなら生活レベルを変えればいいですし、足りないとなれば収入を上げる努力をするだけです。副業、転職、投資など今に時代は勉強する意志があればいくらでもできます。
「経済的格差」から少し引いた目線で俯瞰的に格差について考えることで、お金以外の格差が世の中にはあり、GDPでは測れない幸福度があると思います。
他責思考で世の中を嘆く前に、世界の現状と過去からの日本を見て、今をもう一度自分なりに評価してみるといいかもしれません。
では。