昔のアニメと現代アニメを考察してみた!1985年生まれは共感できるかも。

おはようございます。 

本日はアニメについて書いていきたいと思います。私は昔から漫画やアニメが大好きで、オタクであることを「野球」というスポーツでカモフラージュしていた人種です(笑)中身は根っからのオタクです。

私は1985年生まれの今年40になるおじさんなのですが、幼少期はアニメ作品の全盛期であったような気がします。セーラームーン、ドラゴンボール、幽遊白書、るろうに剣心などなど数えればきりがないですが、非常に熱狂した作品が多かったように思います。

 その中でもドラゴンボールには狂いました。スーパーサイヤ人がかっこよすぎて、何回返信しようとしたかわかりません(笑)なれないんですが。高校卒業後に金髪に髪の毛を染めましたが、かっこよさのモデルはスーパーサイヤ人でした。初めてフリーザとの闘いの中でスーパーサイヤ人に変身し、それ以降スーパーサイヤ人になる事でした。結果はただのチーマーになっただけでしたが(笑)

学校などで前日に見たアニメの話を友達とするのが楽しかった記憶が鮮明によみがえります。もちろん今のアニメと比較すれば、画質や絵のきれいさ、倫理的に今のアニメにはおとるかもしれません。しかし、内容に関して今のアニメより深いと思います。大人になってみる昔のアニメはすごく深いことを言っている場面があります。子供ながらにその感性が潜在意識に刷り込まれるかのかもしれません。

 現代のアニメでもワンピースは別格であると思います。呪術回戦や進撃の巨人なども面白いですね。しかし現代の転生シリーズやタイトルが長いアニメには少しがっかりします。もちろん楽しい方がいるので、その作品を否定はしません。が、オリジナリティがなく、なんか前見たような内容だなと思うことが多々あります。流行った作品だから模倣して売れようという感じが出ています。アニメは売れないといけませんが、自分のアイデンティティとしての作品を世の中の人に楽しんでもらいたいという感覚がないように感じてしまいます。

 現代アニメも描写がきれいで、楽しい作品がたくさんありますが、ワンピースぐらいしか継続的に見ている作品はありません。尾田さんが手がける作品はすごくストーリーが深く、見ていて泣いてしまう場面や、感動する場面、驚きの場面など多くの読者をひきつける要素を盛り込むのが天才だと思います。漫画を読んでなんども泣いている作品は、ワンピース以外は存在しません。そろそろ終わってしまう感じがするので寂しいですね。

 これからはAIでアニメが作れてしまう時代がくるかもしれません。それはそれで時代の変化でいいのかもしれません。が、私は少し寂しいです。だれだれが作った作品という部分も、視聴者側からすると作品を見る上で重要だったりします。あの作品を作った作者の新作だから読んでみようとなるわけですので、完全にAIが一から作品をつくれる時代がきたらそのような事もなくなってしまうのかなと。台本は作者、作画がAIのような分担が理想な気はします。

 一方でAIによって過去に亡くなってしまった漫画やアニメの作者の作品を復活させることも可能になるでしょう。鳥山明AIができれば、鳥山明さんが作りそうな新作を作ることも可能になるかもしれません。それははっきり言って期待してしまいます(笑)

話が脱線しましたが、何がいいたいかというと「作品を売る」ではなく「作品を楽しんでもらう」をもっと強調した作品が見たいです。現代アニメに欠如しているものである気がします。もちろん製作者サイドは一生懸命つくっているのはわかりますし、作品としての面白さはわかります。現代の子が見れば我々が見て来た作品の方がよく見えないかもしれません。でもビジネス色が強くなった気はします。

同世代の方はどのように感じますでしょうか。

では。

投稿者について

ぽん助

名前:ぽん助

年齢:39歳

性別:Xジェンダーの不定性

家族構成:妻、子供二人と生活中。

職歴:食品営業5年、製薬会社10年勤務。現在個人事業主として実家で執筆中。

趣味:メイク、野球、カラオケ、旅行、カワイイ服を買う事

好きな歌手:B’z、スキマスイッチ

座右の銘:人生一回。死ぬ最後の時に後悔しない人生を歩む。

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