おはようございます。
本日は今世間を騒がせている「新卒初任給問題」を考えてみました。そもそも新卒初任給問題ってなんぞやという方に説明すると、今年の4月から勤務する新卒の方の初任給が企業によっては30万以上もらえたりします。
これは世間の流れとして、私は素晴らしいと感じています。
そもそも日本の初任給は低いんです。それには年功序列というものが日本にはあって、徐々に給与が上がっていくシステムを導入していたからなんですね。しかし現代の日本では年功序列の制度は崩壊してますし、年功序列では生き残っていけないのが本質にあると思います。アメリカの大手企業なんかですと、新卒一年目から年収1000万を超える企業すら存在します。
実力主義化が進む現代において、いい人財を獲得するために初任給を上げることは全く不思議な行動ではないですし、政府から見ても賃金底上げに寄与しているのでいい方向と捉えていると思います。
しかしこの現状を問題視する方もいますし、初任給が高くなった新卒の方にも心配な部分もあります。
では新卒の給与が上がる事で起こる問題とはなんなのでしょうか。詳しく書いていきます。
世代間ギャップ
これが、一番初任給が上がることで起こる問題かもしれません。所謂、上の世代の方が感じる不公平感です。
私も含めなんですが、今の30代より上の世代は初任給というと20万円前後でした。この金額が世の中的にも普通でしたし、我々世代は企業の伸びしろや、平均年収などで就職先を選んでいたと思います。
それが現代では30万円前後の初任給がもらえるという事に対して、不公平感を覚える方もいます。
もちろんすべての企業がそのような高額な初任給を払えるわけではないですが、多いところなんかですと東京海上日動さんなんかは40万を超えます。新卒の年収が日本で500万を超えるなんてすばらしいと思います。
しかし、新卒初任給20万円世代は面白くないのです。自分たちが年収30万になったのは、新卒から10年~15年はあったかもしれません。人によっては非常に面白くないかもしれませんね。
これはやはり不満として出ていて、特に就職氷河期世代の方々にとってはものすごく抵抗があるような気がしています。
就職氷河期世代とは、大体今の40代あたりの会社員がそれに該当します。バブル崩壊後に起こった日本の経済危機の真っただ中に就活をしていた世代です。有効求人倍率0.5前後で、二人に一人しか求人が無い状況です。
この世代の方々は、企業を選ぶことすらできませんでした。とにかく内定を一社もらうのに必死だったんです。今は有効求人倍率は1.8ぐらいありますので、一人に対して単純計算2社ほど内定がでます。世の中の流れでありますが、不公平感を感じてしまうのは否めないかもしれません。
それに加えて収入格差があれば、現状のような不平不満がなるべくしてなったと言えます。
入社した新卒の方が後輩いびりの対象になる
これは大いにあるのですが、「ゆとり世代」や「Z世代」、「さとり世代」など今まで多くの世代を意味する言葉が誕生してきました。一種の差別的言葉だと理解していますが、ここに「初任給世代」に近い言葉が生まれそうな気がしています。
これは入ってきた新卒の方に対して、初任給高くて羨ましいという気持ちから圧をかけるひとが一定数出てくると予想します。例えば給与分働けよだったり、私が新卒の頃は・・・など新卒の方が悪いわけではないですが、文句をいわれてしまう可能性です。
これはすごく懸念していますが、時代の流れなので致し方無いと思う部分もあります。
会社としても初任給が少なく入ってきた人に対して何らかの対策をしないと、会社内部の問題に発展しかねません。
新卒採用費の増加
企業的なリスクも存在します。
これはやはり単純に人件費があがることです。新卒の方には、スキル獲得と引き換えに安く働いてもらうというのが昔の考えな気がしています。初任給が上がれば当然人件費が急増しますし、上の世代の方のリストラリスクもあがります。
すごく慎重に企業は動かないと、さまざまな問題が出てきてしまうのが初任給問題だと思います。
では、わたしが思うこの初任給問題に関して少し強めの意見を言っていきたいと思います。決して30代~60代までのひとを批判する内容ではないことはご理解ください。
他責思考からは何も生まない
ここまでの話をみてくると問題になってくるのは「他責思考」な部分です。
自分は給与が少ない世代に生まれてしまったから不幸という考え、企業に対する不満、新卒の方への不公平感など、すべて他責なんです。
私の感覚なのですが、他責思考の人に成功者や優秀な方は存在しません。マインドがそもそも違います。
自責思考の方は、自分の現状は自分が作ってきた結果という考え方があるので、現状に満足いかなければ満足いく自分になれるように勉強なり、努力を惜しみません。
しかし他責思考の方は、今の現状があるのは誰かのせいと考えてしまい文句しか生みません。考えてほしいのは、現状を変えるために努力をしてきたかどうかだと思います。現状を変えるために本を読みましたか?愚痴を言うだけの飲み会に1万円も払ってませんか?その一万円があれば何冊本や貴重な経験が買えますか?ということなんです。
私は不幸です、可愛そうなんですは通用しません。だって、そのような世代の方でも稼いでいる方はいますし、それ相応の努力は常にしている方々です。
決して努力をしていないという意味ではないのです。努力の意味を勘違いしている場合が多く、「努力」とは自分の目標や願望をかなえるために行うものなのです。
会社に指示された事をこなし、10時間勤務して頑張る。これもいいのですが、努力でもなければ目標にはなにも近づきません。
努力とはトライアンドエラーであり、エラーをいかに減らす知識習得も同時に行います。その努力を不平不満がある方は続けていますかということなんです。
世間がいい暮らしを私たちに提供してくれないではなく、いい暮らしがしたいのであればそれ相応の努力をしないといけないというのが持論です。
なにかを手に入れるためには、何かを捨てないといけないのは当たり前なんですよね。東大に入った人は、我々が遊んでいる間に勉強していたでしょうし、有名企業に入社できた人は面接対策や大学時代の成績を抜群にあげていたなど、努力しているんですよね。
逆言えばそんな方たちと同じレベルで生活するために、なにもせずに獲得できるわけがないんです。もっと言えば、それこそ不公平になります。
というのが私の持論です。
まとめ
本日は、少し昨日のテレビの内容で思うところがあったので書きました。
初任給問題に関してずるいだったり、羨ましいなどという言葉しか報道されないので「違うのではないか」という気持ちです。
企業は私たちを労働力として雇います。つまり私たちの時間にお金を払ってくれるんです。雇われたらお金を払うのが会社の役目のような考えの方がいますが、本質は質の高いアウトプットを常に提供しなければやめさせればいいと思います。
逆に自分の提供するアウトプットに対して、給与が少ないと感じれば転職すればいいのです。転職活動を通して自分の市場価値をしれますし、どんどん動けばいいのです。
一番最悪なのは、世間がよくないという考えです。
違うんです。そもそも世間はあなたの味方ではないのです。世間に対して、それ相応の対価をアウトプットできなければいい給与や暮らしは手に入りません。
だから常に勉強するしかないのです。新卒の方にもいいたいのですが、入社がゴールではないです。一流企業に入社しようがそこがスタートであり、常に勉強しないといけません。満足は成長には毒です。
自分に対しての言葉でもありますが、文句があるなら人の何倍も勉強と努力をする。これを徹底しないひとが、他人を非難することはナンセンスです。
ありがとうございました。