おはようございます。
本日は関東周辺は雪予報になっていますが、皆さま無事でしょうか。もともと雪が降らない地域の方は、雪道での車の運転などは非常に危ないのでおうちにいるのがいいですね。ましてやノーマルタイヤで雪道に挑むことは絶対NGです!(笑)私も今日はぬくぬくこたつで本を読みます(笑)
では本題です!
本日は「高校野球で感じた大人のエゴ」という題名で書いていきます。
なぜこの題名なのかといいますと、私自身が元高校球児であり、高校野球に思うところがあったので一度書いてみたいというものが私の中にありました。
前提条件として、高校野球は高校生のためのスポーツであって大人のエゴで運営されるものではないということ。そして、今の高校野球の実態についてお話できればいいと思います。
私は高校野球で野球が一時嫌いになった
まず私自身の話をさせてもらいます。
私は中学校~大学まで野球経験があります。そんな中で一度野球を嫌いになったことがあるのですが、原因は高校野球でした。
中学を卒業して進学した先は地元の高校でしたが、何人もプロ野球選手を輩出し、甲子園出場経験もあるようないわゆる野球の強豪校に進学しました。
すごく期待に満ち溢れて進学し充実した学校生活を送れると思ったのですが、実際はあまりいいものではありませんでした。
それは野球以外の要素が非常に強くあり、スクールカースト以上の部活カーストが原因でした。
カーストとはインドなどで使われている身分階級で、人口の多い国を統治するのに非常に有効な手段として用いられてきました。これは学校などでも無意識にみなさんが使っています。
部活にさらに強力なカーストが働きます。
わたしはこれに大変なアレルギーを感じていました。例えば昼休みに先輩の昼飯を購買に買いに行ったり、同級生のレギュラーメンバーが部室のいいロッカーや場所を使うなど、野球以外の不満が非常にありましたね。
そもそも野球をやりたくて部活に入っているのに野球以外で不満がたまり、野球の上手い下手で部活内の身分が決まる仕組みがなんとなく腑に落ちなかったです。
もちろん高校野球の指導方法や伝統を重んじる人の言い分も、社会人になって自分にわからなくはないのですが、高校野球で仕事に活かせるものはあまりありませんでした。
よく言う規律を守るであったり、根性がつく、社会の縮図を学ぶみたいな部分を強調しますが、野球をするという目的から逸脱していると私は考えます。
高校で部活に入る人はそのスポーツが好きで入るわけで、いわゆる社会の縮図を学ぶために入るのではありません。学生だからそれも教育の一環いう主張も理解してお話すると、その強烈なカーストで野球を嫌いになる部員が多いのも事実なんです。
野球をやりたい子供に野球を嫌いにしてしまう環境が健全には全く思いません。そんなのものは教育以前の問題です。
これは大人のエゴと日本の高校野球に対する美学などの外的要因が大きいと思います。
カーストの最上位層は「監督」

部員の中でカーストがあるのはご理解いただけましたでしょうか。
そのカーストの頂点に君臨するのが「監督」なんです。この部員の中で優劣をつける原因は、監督にあると思います。(前提としてすべての監督さんがこのような方だとは思っていません。)
部員の中でカーストがひかれていることは監督もわかっていたと思いますが、一切口ははさみませんでした。それは自分自身も高校野球を経験する中で普通の事だったのかもしれませんし、自分の今があるのはその環境のおかげと思っている部分もあるのかもしれません。
でもそれで指導者としての立場を全うしているのでしょうか?
好きなスポーツを嫌いにさせる環境を放っておくのが教育なのでしょうか?
未だに疑問しかありません。
監督の立場から考えれば、甲子園に行くという目標を実現できれば監督の学校での地位であったり、親御さんやOBからの賞賛などの恩恵があるとは思います。が、そこに部員のためという視点をもっている監督が世の中に何人いるのでしょうか。
ここが問題の一つです。カーストを無意識に敷いているのは監督ですし、その環境を改善しないのは監督が指導面で楽な部分が多いのでしょう。
でも本来監督がやるべき仕事は野球を強くする以上に、野球に没頭してもらう環境をつくり、とことん自分と向き合う時間を提供することではないかと思うのです。
プレーして怒られ、時には交代させられ、監督が強制させる練習をやり、先輩のお世話をする。本当にだれのための野球なのかわかりません。
高校野球が誰のためのものなのかを再定義しなければいけないと思います。
高校野球ファンの思想
これもだいぶ問題視しています。
高校野球には熱狂的なファンが存在します。そんな私も今は高校野球のファンとして、春と夏の甲子園を楽しみにしているのですが、ファンの思想が高校野球の在り方を狂わせているとも考えています。
高校野球は美しい友情物語、泥にまみれて根性で向き合う、痛み止めを飲んでプレーする美学みたいなものを求めている方がいるのですが、害悪でしかないと思っています。
ファンは子供たちに感動を押し付けすぎています。
もちろん高校野球は感動しますが、押し付けられた感動で苦しむのは子供なんです。けがをしても黙っている環境や逆に怪我をおして出場する姿に感動するなど、無責任もはだはだしいですね。
大人が感動したいからという理由で、大人の美学や価値観を押し付けてはいけないのです。
何度もいいますが、高校野球は子供のためのものなんです。大人が子供の未来を奪うような事を助長してもいけないですし、野球部員が思いっきり野球をできる環境を作ってあげることが最優先事項であるとおもいます。
ファンである以上、高校野球とはこうあるべきだという思想が捨てるべきです。
野球強豪校問題
これも高校野球では取り上げられる問題ですね。
強豪校が他県の有力選手を集めてきて、地元高校のような経済力が無い高校が甲子園に出れるチャンスが少なくなるという問題。
ここも視点の問題な気がします。
強豪校の部員たちも強い高校に行くことが甲子園の近道であり、自分がプロ野球の世界に行くためにも切磋琢磨できる環境に身を置くことは非常に有効です。
しかし世の中的にずるいなどの偏見が多いのが事実です。もちろん主張はわかりますが、部員のきもちが考慮されていません。そのような体制を引いているのは、大人であり学校です。子供たちに矛先が向くのは違います。
地元の子がいないから応援しない、集めてれば強いよねなどの意見を部員の聞こえるように発信する人は控えてもらいたいです。
偏見の目を向ける相手が違います。
彼らはファンや親、監督のために野球をやっているわけではないのです。
高校野球も会社もホワイトが勝つ

山本五十六さんの書いた部下を育てることばです。海外ではドラッガーが書いたマネジメントにも近い内容が書いてあります。
高校野球で教育をするのであれば、このような考えに基づいて指導していく必要があります。
部員一人ひとりに価値を提供する(マネジメントに書いてある重要な内容)を徹底し、チーム力をあげる努力を監督やファンはしてあげるべきなんです。
見守ってあげてください。
まとめ
今回は高校野球について思うところを書いてきました。
野球はやっている子供たちのものであり、大人が口をはさむ場所ではないのです。
プロ野球はビジネスでお金をもらって行っているものなので、思想や偏見などあってもいいかとはおもいますが限度はあります。
せっかく野球が好きになって楽しんでいる子供たちから野球を奪わないでください。
大人たちが野球を心から楽しめる環境を作りましょう。
ありがとうございました!