2025年6月某日。
私は一人、女装姿のまま、神々が鎮まる地へ向かった。
目指すは「東国三社」。すなわち鹿島神宮・香取神宮・息栖神社。
かつて武人たちが必勝祈願に訪れた場所に、今、自分らしさを探す一人の“ぽんちゃん”が足を運ぶ。
派手なウィッグとメイク、そしてロングスカート。
神聖な場に立つには場違いに思えるかもしれない。
でも、私はこの姿で「自分の芯」を見つけたかった。
■ 鹿島神宮―武の神に、覚悟を問われる
最初に訪れたのは鹿島神宮。
武神・タケミカヅチを祀る、東国最大級の神社だ。
鳥居をくぐった瞬間、森の静けさと空気の重厚感に包まれた。
一本一本の木が何かを語りかけてくるようで、女装の自分が試されているような、そんな気持ちになった。
「あなたは、ただの“面白がり”じゃないか?」
「この姿で、何を成したいのか?」
そんな声が、聞こえた気がした。
私は深く一礼し、心の中でこう呟いた。
「自分のままで、人と繋がりたい。
笑ってもらって、勇気を届けたい。
そのためにこの姿を選びました。」
きっと、神様は笑っていたと思う。
「ああ、覚悟はできてるんだな」と。
■ 息栖神社・「陰」の力に導かれる場所
次に訪れたのは、鹿島の西に位置する息栖(いきす)神社。
あまり有名ではないが、“隠れた名所”としてスピリチュアル界隈では人気が高い。
ここは、水の神・久那戸神が祀られていて、「交通安全」「道の守り神」とされる。
鳥居の下、ふたつの井戸“忍潮井(おしおい)”が静かに湧き続けていた。
この神社では不思議と、胸の奥にあった迷いや怖れがふっと軽くなった。
「この道でいい。誰に否定されても、自分だけは信じてあげよう」
水の神が、私の内面を洗い流してくれたのかもしれない。
たとえ女装で、奇抜で、人と違っていても、「自分らしく在る」ことを後押ししてくれるようだった。
■ 香取神宮・未来へ、祈りを放つ場所
最後に訪れたのは、香取神宮。
こちらはフツヌシ神、鹿島のタケミカヅチと対をなす“軍神”が祀られている。
朱塗りの楼門をくぐりながら、私はふと思った。
「この旅は、戦いなんだ」と。
社会の目、自分への疑念、未来への不安。
それらすべてに向き合いながら、「本当の自分」と繋がるための戦い。
香取の空気は、不思議と前向きで、柔らかくて、でも背中を押すような力がある。
本殿で手を合わせたとき、涙が出そうになった。
「私、怖いけど、やってみたいことがある。
自分の姿で、誰かに希望を与えたい。
この姿が“道化”に見えても、“異端”に映っても、私は笑って生きたい。」
その瞬間、ふっと風が吹いた。
ウィッグの髪が揺れて、空を見上げた。
そこにあったのは、雲ひとつない、真っ直ぐな青。
■ 女装で神社に行くということ
この行動を“ふざけてる”と感じる人もいるかもしれない。
でも、私は本気だった。自分を見つめ直すための、神聖な行為だった。
人と違う格好をするのは、勇気がいる。
でもその“違和感”こそが、人の心に問いを投げかける。
「本当の自分って何?」
「社会が求める“普通”と、自分の中の“真実”が違ったら?」
私は、まだ答えは出ていない。
でも今日、三つの神社を女装で巡って、確かに一歩、前に進めた気がする。
■ 最後に
鹿島・香取・息栖。
この三社を結ぶと、地図上に大きな三角形が浮かび上がる。
“東国三社”は、かつて旅人たちの「祈りのネットワーク」だった。
そして今日、私という“異質な旅人”も、その結界に入れてもらった気がする。
女装していても、神は受け入れてくれる。
それはつまり、世界が少しだけ優しくなる兆しかもしれない。