おはようございます。
本日は40歳になる今年になって気が付いたことを書いていきます。その内容としては、人生で無駄なことはなかったということにつきます。今まで生きていく中で、正直もっと勉強しておけばよかったとか、もっと真剣に野球に取り組むべきだったとか、大学時代にもっといろいろな経験を積むべきだったとか、後悔ばかりを考えて生活してきたような気がします。それは現状に満足できず、なにか過去に自分に責任を押し付けて、ある種の満足感みたいなものを感じていたように感じます。できない理由探しに似ています。私のように、過去を責めている方も大勢いるのではないかと思います。
しかし最近になって感じるのです。勉強はしていなかったが、その分友人との時間や遊びに時間を投下していたわけです。遊びというと将来役に立たないような気がしますが、実際はそんなことはありません。今ライバーという仕事をしていますが、自分の対応力や知識の多さはかなり役に立っています。それは勉強の知識とかではなく、今までの体験だったり、みんなが遊んできたものを一通りやってきた事、友人との人間関係の構築するスキルだったり、かなり自分はそうゆう部分がかなり得意なんだなって思っています。
これは学校生活で勉強に重きを置いて生活していたら、獲得できなかったスキルであると思います。もちろん勉強が出来ることも素晴らしいスキルであると思いますし、勉強を否定は全くしませんし、むしろ勉強は肯定派です。
ここでなにが言いたいかというと、過去の後悔ばかりを考えるんではなくて、あなたは必ず何かの代わりになにかに時間を投下していたはずなんです。それは遊びかもしれないし、自分の趣味かもしれない。はたまた、引きこもりやニートでずっとパソコンの前に張り付いていた人もいるでしょう。でもその時間は無益ではないんです。遊びが仕事になるなんて現代では普通です。むしろ遊びを仕事にしている人のほうが稼いでいる。YOUTUBEやライブ配信などは典型であると思います。パソコンに張り付いてネットの住人になっていた人であっても、その住人の気持ちを理解できるし、その住人の方を助けたり、楽しくその中でコミュニティを作れるスキルが身につくかもしれません。何事も無駄な時間なんて存在しないのです。
私も本当にネガティブで、自分の人生の軌跡を悔いたことは何度もあります。でも、その人それぞれに歩んできた経験とスキルは備わっているんです。その活かし方を見つけるだけであると思います。加えて、悔いたことがあるなら今からでも遅くないはずなんです。私は今40歳になりますが、ものすごく勉強しています。嫌々ではなく、知識欲みたいなものがどんどん湧いてきて、勉強が楽しくてしょうがないんです。今からでもやりたいことをやるべきです。週末の数時間でもいいと思います。自分が興味があるものへ時間を投資する。そのうちに習慣化してきて、毎日できるようなる。すると、何か突然パズルが完成するような感覚で一気に突き抜けると思います。
私自身もまだ突き抜けるとまではいっていませんが、その兆しみたいなものは感じています。とにかく後悔していてもしょうがないですし、自分の今までの人生はあなたしか肯定できません。人生の棚卸をしてみると自分が良く見えますよ。なにをしてきて、自分はなにが得意なのか。そして、どう人生に活かせるのか。そんな時間を作るといいと思います。
私の人生に無駄は全くなかったと今は言えます。遠回りかもしれませんが、コスパやタイパを気にした人生に大成はないと思います。みなさんも自分をほめてあげてください。
では。