自分の“影”に目を向けること。それがシャドウワークだと知ったとき、少し怖くて、でもどこかでやらなきゃいけない気がしていた。人に見せたくない自分。無意識に避けてきた記憶。恥ずかしいと思っている癖や感情。それらと静かに向き合ってみた。
嫌いな他人は、自分の写し鏡
シャドウワークの入り口は、「他人の嫌いなところを書き出すこと」だった。
精神的に依存してくる人、ネガティブな人、褒めてほしそうな人、常識を押し付けてくる人──。
そんな人たちが苦手だと思っていたけれど、書き出しながら気づいた。どれも、自分の中にもある要素だった。
たとえば「見返りを求めてくる人」が嫌いなのは、自分も「優しくしたら好かれたい」「与えたら認められたい」と思っているから。
「陰口を言う人」が嫌いなのも、自分が人に言えない本音をたくさん溜め込んでるからかもしれない。
嫉妬の裏にある「本当はなりたい自分」
イケメンや美人、お金持ち、努力できる才能──。
嫉妬の対象は、実は「本当は自分もなりたい」と願っている姿だった。
素直に「いいな」と思えず、どこかで自分を正当化していたことに気づく。
でも、それを認めたら、少しだけ前に進めた気がした。嫉妬は、可能性の裏返しでもあるのだ。
誰にも言えなかった「自分の裏側」
絶対に知られたくなかった一面を、今回、正直に書いてみた。
女の子の姿で暮らしたいという願望。
八方美人で嫌われたくない自分。
誰かの前で強がってしまうけど、本当は弱くて不安な気持ち。
そして、すぐに怒ってしまうような攻撃性を隠して生きてきた自分。
書きながら、涙が出そうになった。こんな自分を他人に見せたら、きっと嫌われる。そう思っていたけど、いちばん自分を嫌っていたのは、他ならぬ自分自身だったのかもしれない。
忘れたふりをしてきた記憶たち
ギャンブル依存、友人との絶交、借金、震災──。
思い出すのも嫌だった記憶。でも、蓋をしてきたからこそ、今も心のどこかに引っかかっていた。
書き出してみると、不思議と少しだけ軽くなる。
過去は消せない。でも、それと向き合った今の自分は、確かに少し強くなったと思う。
恥ずかしい自分を、受け入れていくということ
誰かの目が気になる。かわいくないときの自分が恥ずかしい。
自己肯定感が傷ついたときに、すぐに崩れてしまう自分。
でも、これが自分なんだと思えたら、不思議と少しだけ許せた。
「恥ずかしいこと」を隠すのではなく、「それでも自分だ」と受け入れる。
それがシャドウワークの本質なのかもしれない。