いつから「恥」をかくのが怖くなったのだろう。恥をかけば成長できるのはわかるのだが。

おはようございます。

本日は「恥」に関して書いていきたいと思います。最近自分の仕事以外に正社員として働き始めたんです。もちろん、自分の事業をあきらめたわけではなく、経験を積みたい仕事だったのでチャレンジしています。そこで一生懸命に業務を覚えるようにしているのですが、確かに昔に比べて経験値が多い分、仕事は周りの人より多少スムーズにできているような感覚はあります。

しかし逆にすごく感じたことがあります。それは「恥」をかきたくないという恐怖心が、昔の非じゃないくらいにある自分に気が付きました。もともと仕事が特別できるタイプではない私が、なぜか失敗を極度に恐れているということに驚いています。もちろん転職したての会社で、少しでも良く思われたいという心理は誰しも働くとは思います。自分は自分に変なプライドを持っていないと思っていましたが、今は「恥」をかきたくないと心から思ってしまいます。

なんとなくわかるのです。原因が。

それは読書習慣と勉強習慣が自分を成長させた半面で、過度な自信となっている部分と恥をかくということで今までの蓄積が無駄になると思ってしまう部分かもしれません。一種の頭でっかち状態と自分で分析しています。

そうなんです。本や音声学習で「知識」は増えて来たのですが、「実践」でその知識を使いこなすという部分が足りないと痛感じています。しかもそれが「恥」という恐怖心を植え付け、チャレンジすることを自然と拒否している自分に気が付きました。これだけチャレンジ精神が大事と発信している自分がこのような沼に落ちるのは想像しておらず、私自身で身をもって体験しています。確実コンフォートゾーンから抜けるのを恐れています。

知識の蓄積がもたらす弊害として、他者より知識がある自分を過大評価し、しかもそれを自分自身で恐怖心に変えてしまうことがあると感じました。恥ほどなにも生まないし、成長を止めてしまう要素と認識していながら自分で恐れているのは本当に人間というのは楽な方、安全な方に進みたい欲求がある生き物だと思いました。

子供の頃や、社会人なりたての頃は恥なんて考えずに、どんどん成長するために邁進していましたが、いつからか「大人なのにそんなこともわからないの?」とか、「仕事できない人」みたいに思われたくないという、本当にどうでもいい恐怖心を抱き、その恐怖は「恥」をかきたくないに変わり、今の自分に表れています。

忘れていました。本当に大事なのは知識を獲得することではなく、行動することということを。しかもその行動とは、自分にとって安全で、怖くないことではなく、チャレンジすることなんです。自分が傷つくことを考えず、ひたすら自分を磨く行動をすることが成功への近道なんだということを思い出しました。その経験がほかの誰かを助けることになりますし、人が嫌がってやらない行動こそが成功への近道なんです。なんかすっきりしました。あたまでっかちを卒業するために、どんどん失敗していこうと思います。

そんな決意の今日です。

では。

投稿者について

ぽん助

名前:ぽん助

年齢:39歳

性別:Xジェンダーの不定性

家族構成:妻、子供二人と生活中。

職歴:食品営業5年、製薬会社10年勤務。現在個人事業主として実家で執筆中。

趣味:メイク、野球、カラオケ、旅行、カワイイ服を買う事

好きな歌手:B’z、スキマスイッチ

座右の銘:人生一回。死ぬ最後の時に後悔しない人生を歩む。

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