「普通」という言葉に悩む大人たち。むしろ「普通じゃない」事に自信を持つ生き方。

おはようございます。

今日も寒いですね・・・比較的暖かい地域に住んでいるんですが、それでも寒いです。

でも冬は好きです。

空気は澄んでますし、雪や氷などの幻想的な世界、ファッションを楽しめる、虫がいない(笑)など好きなことをあげればきりがないです。

スキー行きたい♡

すいません、本題にもどります(笑)

本日は「普通」という言葉に悩む大人たちというテーマで書いていきたいと思います。

このテーマを選んだ理由として、最近視聴させていただいたいる「宋慶二の国語チャンネル」読めない本を「読む」人たちというお題の動画がでていました。

内容としては「学習障害」についての話なんですが、本を読む人の特性で本の内容の捉え方は変わるという話です。

つまり国語という学問は数学のように絶対的な「公式」はないので、読み手の理解(正解)は一つに集約されないという話です。

なのに今の学校教育は個人の感性をみんな一緒にしたがります。

そうすると考えに賛同できなかったり、理解できない人を「普通」じゃない人というレッテルを貼ります。

これがどれだけその方を苦しめるのか理解が足りないなと思います。

少しチャンネルの話と軸は違いますが、「普通」という事がいかに脆弱な考え方であり、「普通」じゃないという事がいかに貴重な考えであるかをは書いていきます。

学校教育や会社で「普通」を押し付けられている方や「普通」という考えに苦しんでいる方に送ります。

みんな一緒に生きる弊害

家庭での暮らしや学校教育の中で集団行動が大事と教わります。

友達はたくさん作り価値観を共有し、みんなで仲良くするという教えですね。

これが現代社会においていかに脆弱な考え方なのかをお話します。

大昔が集団で生きることが普通であり、集団で生きられないという事は「死」に近づく行為でした。

なので人間は集団で生きるために「普通」という概念を作ったと理解しています。

普通とはマジョリティの考えが正解で、マイノリティの考えがいびつなもの(不正解)として捉えられます。

この考え方は現代でも常識的な考えであり、集団に馴染めない所謂「普通」じゃない人を排除する考え方です。

しかし「普通」であることは大事なのでしょうか。

個性を尊重するということを世間は掲げながら、個性を潰す行動が多い気がしてなりません。

普通じゃないことはそもそも個性であり、普通なことも個性です。

ましてや、みんなが普通であることはリスクにもなります。

理由として「多様性」があげられます。

現代の考え方の中で「多様性」という概念が浸透してきたことは良い傾向ですが、まだまだ日本はに認識が薄い印象です。

多様性というのは生物界では当たり前のことですが、いろいろなことに適応できる生物が生き残ります。

つまり多様性=個性と捉えるならば、個性があればあるほど生き残る可能性は高まるわけです。

私の頭の中ではこの方程式が存在しますので、普通じゃないという考えはナンセンスな気がしています。

「普通じゃない」を馬鹿にする人たち

みなさん学校や会社で、人を見下したような言い方をする方はいなかったでしょうか。

自分より劣る部分がある人間を見下すことで、自分の優秀さを実感したい人が多いような気がします。

でも人間は劣っている部分がある場合、何か別のことにリソースが取られている可能性が高いようです。

つまり学校の勉強は苦手でも、スポーツがめちゃくちゃ得意だったり、すきなものに対する集中力が桁違いだったりと実は飛んでもない能力者だったりするんです。

よく有名な研究者や偉人は「発達障害」があったと言われています。

アインシュタインは「注意欠如多動性障害(ADHD)」の可能性が高いようです。この多動性はネガティブだけでなく、とてつもない行動力を生む場面があるのです。

他にも多数存在します。

トーマス・エジソン(ADHD及びASD疑い)

織田信長(アスペルガー症)

坂本竜馬(ADHD)

レオナルドダヴィンチ(アスペルガー症)

上げればキリがないですが、様々な才能を持った人や歴史を変えて来た人物が多いです。

時代を変えてきた人は常人には考えられないような行動力や能力を秘めています。

つまり現代の高度な技術や経済活動の基盤は、ここでの話ででてくるような「普通」じゃない人大いに関係していると言えます。

もし勉強ができない事や仕事が出来ないことで馬鹿にしてまう人がいたら、考えを改めたほうがいいと思います。

普通じゃない自分を責めない

正直私もADHDの気質が大いにあります。

医師から診断されたわけではないですが、学生時代に授業中に意識が妄想の中にいることはしょっちゅうでよく先生から怒られました。忘れ物も常習犯でした。

勉強の進捗具合にもムラがあり、算数50点、理科100点、国語100点、社会60点みたいに差が極端でしたね。

だから「普通」じゃないの人を擁護するわけではないですが、差別的に扱われるのは違うと思うのです。

確かに勤めてる会社で能力を発揮できない人は「使えない人」といレッテルを貼られてしまうかもしれませんが、別の業務や仕事に就くととんでもない力を発揮する可能性があります。

もし普通じゃない自分を責めてしまう人がいるなら環境を変えてみるのが一番いいと思います。

そこはあなたのいるべき場所じゃないんです。

世間体なんて気にせずとにかく自分の見つめて、今までの人生の中で没頭したものや得意なものを思い返してその分野でもう一度やりなおす事がいいと思います。

するとあなたの中に秘められた能力が開花して、時代を変えてしまうような何者かになる可能性だってあります。

悲観しないでください。

まとめ

私も勉強が苦手で人と違うような気がしていて、「自己肯定感」なんか皆無でした。

勉強が出来ない自分に将来は無いくらいに思ってましたし。

でも実際は違います。

あなたにはとてつもない可能性があるのです。

その可能性を引き寄せるのも自分です。

自分を見つめて、自分が没頭できる分野に全ベットすると未来は明るいかもしれません。

自分が花開ける土壌探しを続けてください。

そして努力も惜しまず、突き抜けましょう!

「普通」じゃないことは才能です。

自分に言い聞かせるように、皆さまにも勇気を。

投稿者について

ぽん助

名前:ぽん助

年齢:39歳

性別:Xジェンダーの不定性

家族構成:妻、子供二人と生活中。

職歴:食品営業5年、製薬会社10年勤務。現在個人事業主として実家で執筆中。

趣味:メイク、野球、カラオケ、旅行、カワイイ服を買う事

好きな歌手:B’z、スキマスイッチ

座右の銘:人生一回。死ぬ最後の時に後悔しない人生を歩む。

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